2022

2022年も長かった。

2022年は出会いに恵まれ、友達たちに学業・精神ともにたくさん助けてもらいました。ありがとうございます。

京都に住んで約2年になるが、初めて京都をまともに観光した。美味いものが探せば大量にある気がした。香川では3日半かけて美味い飯と良い景色を浴びた。東京も何度か訪ねた(美味いものは食えなかった)。今年は、自分にしては移動距離の大きいダイナミックな一年でした。

今年は5曲作った。お気に入りはEveです。

youtu.be

ライブは確か2回出演した。来年はもう少し、文句のつけようがない感じのドラマーになりたい。

来年は博士進学と就職を同時に迎えるので、激動の年になる。就職か院進か、人文か理工か、理論か応用か、といった具合に二択を迫られると両方取ってしまう。大学と会社どちらもフルタイムなので、無理のある計画ですが、要はやってみることが大事ですよね(無理だったら、辞めればいいので)。

新生OMARUもアウトプットの場としてそれなりに活用できた。思っている以上に見られているので、それにも助けられています。

nouheri.wraptas.site

2023年も変わらず、目標は高すぎるくらいで、ただし一切の無理をせず深く考えないことを大事にしていきます。そして大切な人と自分の幸せを何よりも優先していきます。

今年のTOP3:

  • Invitation to Formal Semantics
  • 深層学習 岡谷貴之 第2版
  • 数学 - その形式と機能

君は何と闘っているのか?

学問に関与していると、同じような領域で活動する知り合いが身近にできます。吹奏楽に関与していると、同じ楽器を演奏する知り合いが身近にできます。曲を作っていると、同じく作曲を趣味にしている知り合いが身近にできます。何かに打ち込んでいると、似たようなことをやっている他人と接点が生じることはしばしばあるようです。

次のようなことをよく耳にします: 「同じ研究室の〇〇はもう△△ジャーナルに出していて負けたくない」「○○には楽器で負けたくない」「〇〇よりも伸びる曲を作りたい」「〇〇だけには試験で負けたくない」などなどなど。 私はこういった発言がどのような機序で出てくるのかわからず、いつも「?」となります。その、偶然身近にいただけの〇〇さんをベースラインにして自分を評価し、一喜一憂することの意味がわかりません。他人と自分とで比較するところまではわかるものの、それで自分が(自分の主観的な判断によると)そいつより下回っていたとしてそれが何だというのか・・・・・。

話を絞るために、こと学問について言えば、学問を推進するということは別に私(やあなた)が必ずしもやらなければならないことではない。理論や観察が発展することに、「それを誰がやったか」は本質的には関係が無いように思うのですが、どうやら、(周囲を見ていると)そうではないのかもしれません。例えば誰かが自分より先に、自分がまさに取り組んでいたテーマで優れた成果を上げたとして、それはその学問にとってとても良いことでは無いんですかね。「先越されたー」みたいな反応は(特に人工知能領域とかでは本当によく遭遇するのですが)、学問が育つことを第一に考えているならば、そもそも出てこないような気がします。

学問の発展ではなく、「研究を手がかりに学界で身を立てること」を目標にするなら、また別の話かもしれません。

音楽をやるにしても、音楽を楽しむために演奏なり何なりやっているなら、他人はあまり関係ないような気がします。自分がそれを楽しめているかどうかが重要なのではないのですかね。「いや、ひとよりも上手くなったという実感がなければ楽しくないのだ」と思うならば、(とっても勝手な憶測ですが)それって真に求めているものは「勝利した実感」であって、その道具として音楽を使っているだけではないのですか。

勉強でも音楽でもゲームでも何でもいいから優越感を感じたくて、そのために、学問や音楽やゲームやスポーツなどの活動を、そして他人を利用しているのならば、確かに、誰かよりも劣っているという事実は不快であり、打破したいものなのかもしれません。

高血圧

新入生なので、大学内で健康診断があった。学部の時は別に行かなくてもお咎めなかったので、無視しようと思ったが、受診しないと定期試験が受けられないかもしれないなどと書いてあって怖かったので行った。まあこのご時世に健康かどうかわからない奴にあまりウロウロされたくないですよね。実家とかの血圧計だと上145とかになるので、自分高血圧なのではと思っていたが周りは機械のせいにしていた。だが高血圧でもおかしくない生まれと生活であったので、俺は機械の出す数字に賛成していた。今日の健康診断でしっかりめの血圧計で測ったところ、上143でした。ほらねーと思いました。手順書みたいなものに、「上140越えまたは下90越えの場合はスタッフをお呼びください」と書いてあったので、あーこれは長くなるやつかな、というかこの際お医者さんに相談したいので高血圧症として処理してくれたら助かる、など思いながら、右側に立っているスタッフさんの背中に向かってすいませんと言った。すると左から別のスタッフが何ですかと近づいてきて非常にびっくりしました。

厚生労働省(高血圧 | e-ヘルスネット(厚生労働省))によると、

日本人の高血圧の最大の原因は、食塩のとりすぎです。若年・中年の男性では、肥満が原因の高血圧も増えています。飲酒、運動不足も高血圧の原因です。高血圧は喫煙と並んで、日本人にとって最大の生活習慣病リスク要因です。 

 だそうです。まあ僕は塩分を取りすぎています。しかも痩せてはいません。一、二文目が完全に俺に向けて書いてあります。やばいです。しかし、

高血圧自体は、過去数十年で大きく減少しましたが、今なお20歳以上の国民の二人に一人は高血圧です[2]

[...略...]

2. 厚生労働省.平成30年国民健康・栄養調査.第55表 高血圧症有病者の状況 - 高血圧症有病者の状況、年齢階級別、人数、割合 - 総数・男性・女性、20歳以上
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00450171&tstat=000001041744&cycle=7&tclass1=000001139646&stat_infid=000031934559 

 とのことで、私の思っているよりも高血圧の人は多いようです。ですが他にもたくさんいるというので安心してはいけません。「自分だけじゃない」という安心の仕方は危険ですよね、高血圧の人が多いからといって、俺も高血圧だけど大丈夫だということにはならないですよね。そうではなくて、このままでは俺もみんなも高血圧で逝くということです。

スタッフさんを呼んでどうなったかというと、もう一度測らされて上138になり、行って大丈夫ですとのことでした。大丈夫じゃなくねと思いましたが、生きたければ自分で病院に行けということでしょうか。行って大丈夫ですじゃなくて逝って大丈夫ですだったのかもしれません。